AMAZON Life by SUNA

「AMAZON OWNERS CLUB」時代から30年余り。
再び AMAZONとのカーライフを楽しむこととなったSUNAと仲間達の日々。
40年、50年、そして60年へとVOLVO AMAZONと共に辿るTime Trip。

Legend of THE RALLY2012

11月9日(金)と10日(土)の両日、Legend of THE RALLYに出場しました。このラリーは、その昔、日本アルペンラリーなどで凌ぎを削った往年のワークスドライバーとコ・ドライバーが、当時戦いの舞台となった林道で「昔風」のラリーをやろうという、いわば「ラリー同窓会」です。私も学生時代からRAC・Sというラリーチームを作り、篠塚健次郎、松波登など、その後、世界のラリーで活躍した仲間と日本アルペンラリーなどに出場していました。そんな仲間が約40年ぶりに一堂に会してラリーをしようというのですから、参加しないわけにはいきません。3日前までRallyNipponでクラッチ不調で苦しんだAMAZONを応急修理してスタート地点の軽井沢に向かいました。このラリーのコ・ドライバーは、昨年RallyNipponを一緒に戦ったTさん。3日前までRallyNipponを戦ったKさんは、自分のミニでエントリーしています。スタートの浅間プリンスホテルには、28台の出場車と、すっかり歳を取った往年の名ドライバーが勢揃いしていました。誰もが白髪だったり毛が無かったり・・・。でも当時の面影は40数年を経ても残っているものですね!エントラントは最高齢が85歳、最若年でも53歳。その上、60歳未満のチームは、たった6チームだそうです。その爺さんたち(ま、人のことは言えませんが・・・)が、どこから持ってきたのか、当時のラリーカーでレーシングスーツなど着て集まっているのです。もっとも私は、当時ラリーで乗っていた、コルト、ランサー、ギャラン、SUBARUなどは、手元になく、1964年AMAZONでの出場です。ほとんどの出場車が懐かしい国産ラリーカーなのですが、外車は、私のAMAZONとKさんのミニだけのようです。一応、往年の名ドライバーの参加ということで、競技格式はJAF公認競技。つまりライセンスが必要なラリーなのです。ただし、その昔のリライアビリティラン形式のタイムラリーで、いくつかの峠では秒計時をされるというもの。コースは、Day1が、二度上峠、車坂峠などを周回する150km余り。Day2は内山峠、田口峠、塩之沢峠などを周回する140km余りの設定となっており、どの峠も、その昔はラリーの主戦場となったところばかり。ただし、車坂峠の登り約7kmが未だ未舗装路でしたが、そのほかは舗装路となっていました。勿論、平均年齢を踏まえ、昼間のラリーでもあるので法定速度より低く指示速度は設定されているのですが、絶妙なCPの配置で、どのチームも、昔取った杵柄でラリー用円盤計算機や電卓を駆使して秒計時に挑みました。とても楽しい2日間でしたが、私のAMAZONは、またまたクラッチが切れなくなりCP手前で立ち往生したり、ミニと一緒に”仲良く”ミスコースしたりで、さんざんな結果となって8位がやっと・・・。それでもエレガント賞をいただきました。なにはともあれ、懐かしい仲間と夜な夜な昔話に花を咲かせることが出来たことに感謝、感謝です。
ということで、今年の・122AMAZONのクラシックカーラリー参加は一段落です。
これからのオフシーズンで、しっかりクラッチを修復し、来年へ向けて万全の整備を行います。
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RallyNippon2012 Day4最終日

RallyNippon Day4は11月6日(火)午前8時半に箱根のハイアットリージェンシーをスタートして鎌倉の鶴岡八幡宮、横浜・赤レンガ倉庫、馬車道、元町を経て東京・靖国神社へゴールする200Km余りのコース。生憎、朝から激しい雨に祟られて苦しい最終日となりました。雨漏りする我々のAMAZONは、窓ガラスにシールをして完全武装なのですが、窓の曇りが激しく、さらに、この大雨の中でクラッチのエア抜きは大変なので、とにかくクラッチを使用しない走りに徹して、頑張りました。Day4の線踏みは、ランチのレストコントロールとなった横浜・赤レンガ倉庫で昼食の前後2回、3連線踏みが設定されていました。とにかく70分のレストコントロールなので、ここまで走り切れば、最悪この70分を使用してクラッチのエア抜きをする予定でした。箱根をスタートしてすぐに、AMAZON仲間のNさんが赤AMAZONでぴたりと後ろをサポートしてくれて、ノークラッチ走行を助けてくれました。今回のRallyNipponも、コースの各地でAMAZON仲間が待ち受けてくれて、本当に心強く、楽しくラリーを進めることが出来ました。そして、最終日は、1回のクラッチのエア抜きで、午後3時過ぎに東京・靖国神社にゴールしました。ゴールは、ゼッケン50番1960年JAGUAR XK150 Roadstar(イベントメインスポンサーのdunhil社長と元F1ドライバーのジャン・アレジ組)に続いたので、TVカメラやフラッシュの嵐で、まるで我々ゼッケン51番AMAZONもヒーローになった気分でした。ガラ・パーティは午後7時から新装なったパレスホテル東京で行われ、ブラックタイのフォーマルディナーでは羽田国土交通大臣を迎えて表彰式が行われ、優勝は1957年AC ACEで何と総合減点は2秒615。我々のAMAZONは、12秒195秒も減点をもらい、29位でした。ひとつの線踏みで0.3秒誤差以内の目標でしたので、全28線踏みで8秒4・・・くらいの減点のつもりでしたが、ちょっと目論見がはずれました。やはり、終始クラッチに悩まされ、1/100秒に集中出来なかったことが敗因でしょう。ま、昨年の32位からはちょっとだけ進化して、完走出来たので、まずは、メデタシメデタシ!!
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RallyNippon2012 Day3

RallyNippon Day3は、11月5日(月)午前7時半に岐阜都ホテルをスタートして、中山道を走り妻籠宿を経て、長野県・高遠城址公園から諏訪大社へと向かい、参加者全員でお祓いをして、山梨県・河口湖から神奈川県・箱根のハイアットリージェンシー箱根までの405Km余りという今年のRallyNippon最長ステージ。毎朝、毎晩、そして午前と午後のステージ中にクラッチのエア抜きをすることを覚悟した我々は、1回のエア抜きに必要な20分から30分を、いつ、どこで稼ぎ出すかを考えながらクラッチをなだめすかして走り続けました。Day3には、妻籠宿に3連線踏みと、夕方に箱根を前にした御殿場のポルシェ(ミツワ自動車富士デポ)での3連線踏みが設定されていました。コ・ドライバー(兼エア抜きメカニック)のKさんは、さすが、頻繁なエア抜き作業と不調のクラッチにいささか疲労を隠せないものの、昔取った杵柄で窓から身を乗り出して線踏みカウント。今回から私もGARMIN(NAVI)下に線踏み「指示表」を貼って「0.3秒以内の誤差」を目指したのですが、どうも先行気味で、ペースがうまく掴めません。ま、やっとクラッチが機能する状態ですから、とにかく、線踏みはともかくとして、何としてでも東京・靖国神社にゴールしなければ(2年連続出場の1974年HONDA Z360も全開でくっついて来ているので・・)と、完走に目標を定めて、夕闇迫る御殿場のガソリンスタンドで最終日Day4へ向けてエア抜きをしたのでした。
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RallyNippon2012 Day2

RallyNippon Day2は、11月4日(土)午前7時半に琵琶湖・ロイヤルオークホテルをスタートして、滋賀県・高島市マキノ町のメタセコイヤ並木を通り、福井県・一乗谷朝倉遺跡、岐阜県・郡上八幡、美濃市”うだつの上がる街並み”を経て岐阜・都ホテルまでの340km余りのコース。このDay2を前に、具合の悪いクラッチに悩む我々は、前夜の夕食もそこそこに、クラッチのエア抜き装備を準備すべく、Day2のコースを吟味し、大きくコースをはずれることなく、時間を稼いで対応出来る戦略を練りました。マキノ町と大野城下町に設定された3連線踏み2か所をこなせば、後に60分の昼食レストコントロールがあるので、その時間を利用する戦略です。相変わらずクラッチに不安を抱えての線踏みでしたが、この日も0.3秒以内誤差の目標は、”ほぼ”達成 。そして、線踏みを終えたところで、我々のAMAZONに声を掛けてくれたのが自らもAMAZON123GTのオーナーで滋賀県で整備工場を営むIさんです。天の恵み・・・とばかりにさっそく問題のクラッチシリンダーを見てもらったところ、「こりゃダメだな・・」との診断。とにかく、頻繁にクラッチのエア抜きをして走り続ける悲壮な覚悟に至りました。ということで、さっそく飛ばしに飛ばして、可能な限り時間を稼ぎ出し、ホームセンター「コメリ」へ行き、エア抜き用のポリタンクと透明チューブを購入。さらに、オートバックスへ急ぎ、ブレーキオイル(クラッチオイル兼用)を購入してガレージジャッキを貸してもらい、徹底的にオイルの抜き変えとエア抜きを行いました。この日の線踏みは以後なく、ひたすら岐阜都ホテルを目指すのですが、一昨年のRallyNipponでご一緒した岐阜のYさんが、途中で待ち受けてくれて、一応復調した我々51番AMAZONをサポート、Tさんの56番AMAZON、そしてYさんのAMAZON123GTの3台を連ねて岐阜都ホテルにゴールしました。もちろん、Day3に備えて、ホテル近くのガソリンスタンドでガレージジャッキを借りてクラッチのエア抜きをしてからホテル駐車場に入れたのは言うまでもありませんが・・・
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RallyNippon2012 Day1

皆様、RallyNippon2012のご報告が遅くなったことをお詫びします。RallyNippon2012は、11月6日(火)に東京にゴールしていたのですが、その3日後の9日(金)から11日(日)までLegend of THE Rallyに出場していたために、ひたすら走りまわっており、ブログを書けなかった・・という次第です。もっとも、4回目のRallyNippon出場なのですが、1回目、2回目くらいまでは、日々ブログにアップしていたような気がしますので、だんだん根性が無くなってきたのかもしれません。ということで、一気にRallyNippon2012とLegend of THE Rallyのご報告をします。4回連続出場となったRallyNipponですが、実は、エントリー締め切り後に出場を認めて頂きました。年初から出場を決めていた「Splendore Japan」という11月1日から12日まで12日間6000Km日本一周ラリーに大きな期待と抱負を持ってエントリーをしたのですが、いきなり「参加不受理」という書留が主催者から来て参加不可能となってしまい、仕方がないので、大慌てでRallyNipponにエントリーさせて頂きました。どういう理由で「参加不受理」なったのかは知る由もありませんでしたが、気持ちよく「歓待」してくれたRallyNipponに出場するために11月2日(金)に今年のスタートとなる京都へとAMAZONと共に自走で向いました。今年のコ・ドライバーは、その昔、学生時代からやっていたラリークラブRAC・Sの名ナビゲーターで数々のビッグラリーで名を馳せたKさんです。40年来の付き合いですから、当然、爺さんなのですが、私より2歳若い62歳です。つまり二人合わせて126歳の往年コンビで「昔取った杵柄で・・」と臨むことになりました。日本気化器という、かつては自動車産業の基幹産業だったキャブレター技術者のKさんは、持ち前の解析力で過去のRallyNipponの成績を分析、「線踏みは0.3秒以内の誤差」を目標に掲げ、AMAZON仲間のKさんから線踏み専用カウントダウンタイマー”BLIZZ”を拝借し、コ・ドライバーとの会話用インカム”PELTER”も購入してヤル気満々で京都へと向かいました。今年のRallyNipponは、京都・上賀茂神社をスタートして4日間で東京・靖国神社にゴールする1100km余りのコースです。AMAZONのゼッケンは51番。今年も1927年BUGATTI T35Bから1970年代初頭の参加車まで83台が出場したのですが、1964年VolvoAMAZONは、年式順に与えられるゼッケンでは、例年だいたい50番前後です。今年はAMAZON仲間のTさんも石川県から出場し、AMAZONは2台。さらに1957年Volvo PV444も参加してきました。11月3日(金)午前9時の上加茂陣社スタートに勢揃いした参加車には往年の名車に混ざって俳優の唐沢寿明さんが1962年三菱500や雅楽師東儀秀樹さんの1956年JAGUAR XK140も並びたくさんのファンに囲まれていました。RallyNippon Day1は、京都・上賀茂神社をスタートして東福寺を経て、滋賀県へ入り、水口神社、近江八幡宮を参拝して琵琶湖のロイヤルオークホテルまでの200Km余りのコースです。この間、東福寺で3連線踏みをはじめ、2連線踏み、3連線踏みの3回1/100秒計時が行われました。ヤル気満々の我々は、当初の目標通り、どの線踏みも0.3秒誤差以内に収めて、まずまずの初日だったのですが、以前から不安のあったクラッチ不調が出始めてしまいました。クラッチシリンダーにエアが入りクラッチが切れなくなってしまうのです。クラッチをポンピングしてエアを押し出して、何とかだましだまし走っていたのですが、遂にまったくクラッチが切れなくなり、ちょうど目に入ったカローラのディーラーに頼み込んで、リフトを貸してもらい、Kさんと共にクラッチのエア抜きをして、一応走り出したものの、この日のゴール、ロイヤルオークホテルを目前にして渋滞の中でクラッチが切れずに立ち往生!またまた、悪戦苦闘の末、やっとゴールまでたどり着いたのですがJAFのロードサービスを待つことになりました。そして応急処置でクラッチは復調したものの、行く先に不安を抱えての第1夜となりました・・・
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今年も「RallyNippon」 Kick-Off!!

大変ご無沙汰でした。長く猛烈に暑い夏もやっとどこかに行ったかな・・・と思ったらもう9月も終わりに近づいていました。この間、強度のストレス・・・とやらでドイツで「突発性顔面麻痺」になって入院。でも、驚くほど速い回復で、退院後には、再びドイツ、イギリス、ブラジル、バーレーン・・・とWEC(世界耐久選手権)対応の旅が続いています。で、先週サンパウロで優勝して帰って来て、来週のバーレーンまでの束の間の日本滞在中に「Rally Nippon」のKick−off パーティがありました。まるで、私の帰国に合わせてくれたかのように・・・。実は、年初にも断言したように、11月1日から12日までは「Splendore Japan」という、日本一周12日間6000km、日本史上最長のクラシックカーラリーがあるという公募を見て参加費を振り込み、楽しみにしていたのですが、いきなり「参加不受理」という書留で参加費を返却されてしまいました。理由は書かれておらず、不明なのですが、とにかく「参加不受理」だそうで、仕方ないので諦めました。今年4回目を迎える「RallyNippon」には、第1回から参加し続けて来ましたが、こんなことで、「歓待を受けて」4回連続出場することになりました。ということで、9月23日(土)東京駅に隣接する「BMW Studio」で行われた「RallyNippon Kick-Off Party」に出席しました。いつものように、気品高く、かつフレンドリーで、アットホームな雰囲気のパーティは、青春時代から好きだったDJのルーシー・ケントさんの素晴らしい司会で進行。美味しいシャンパンが途切れることなく注がれ、見事なカナッペを堪能している中で、今年のエントリーとコースが発表されました。今年は1927年BugattiT35Bにはじまり、1974年BMW2002まで83台がエントリー。VolvoAMAZONは、私とお仲間で石川県のTさんの2台。ただ、新たにPV544とP1800のVolvo仲間もエントリーされていました。残念ながら、このパーティにはいらっしゃらなかったようですがご一緒出来るのが楽しみです。コースは去年とは逆に京都スタート東京ゴールの3泊4日のラリーです。11月3日(土)に京都・上賀茂神社をスタートし、Day1は滋賀・大津のロイヤルオークホテルまで。Day2はロイヤルオークホテルから岐阜・岐阜都ホテルまで。Day3は岐阜都ホテルから諏訪大社を経て、神奈川・ハイアットリージェンシー箱根まで。最終Day4は、ハイアットリージェンシー箱根から鎌倉、横浜を経て東京・靖国神社です。ゴールは、11月6日(火)午後に東京・靖国神社です。もし、お時間のある方は、コース途中、そしてゴールにいらしてください。素晴らしいクラシックカーの勢ぞろいです。さらにRallyNipponらしく、懐かしい国産旧車もお見逃しなく。スズキフロンテ800やマツダカペラ等々もいますよ・・・私は、RallyNipponまでの間も今週末から世界行脚が続き、その間、10月6日(土)7日(日)には、恒例の「AMAZONツーリング」で会津福島のVolvoの故郷「ゲストハウス・ダーナラ」へと10台のAMAZONを連ねて遠征します。さあ、どこで、長い夏の間地下駐車場で「夏眠」していた・122AMAZONを目覚めさせてRallyNipponへ向けて完璧に仕上げるか、カレンダーとにらめっこです!
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古都ケルンのクラシックカーイベント

世の中は、5月のゴールデンウィーク”らしい”ですが、私は仕事、それも難題を抱えて、ドイツ・ケルンに滞在しています。でも、ドイツの日曜日は、きっちり休みなので、4月29日(日)は、仕事を離れ街歩きをしました。そうしたら、古都ケルン(日本の古都京都と姉妹都市でKyoto strという通りもあります)のド真ん中でクラシックカーイベントとやっていました。「OLDTIMER DATENBLATT」というイベントなのですが、街の一角にずらりとクラシックカーが集結し、車両解説のスタンドを通過するように、グルグルと周回し、観衆は自由自在にクラシックカーを楽しめる、、、という趣向です。ここケルンには、今でこそ、私が帯同していたトヨタF1(かつてはWRCも)の拠点TMGがあるのですが、その昔からドイツ・フォードの拠点でもあるのです。で、ケルンの象徴とも言えるのがFORD TAUNUSなのです。FORD TAUNUS(1951年式)には、フロントに誇らしげにケルン大聖堂のマークが付いています。解説スタンドでは、いかにも物知り風のおじさんが珍しいGLAS 1700GTを紹介しています。もちろんAudiの前身AutoUnionや、ポルシェの車作りのルーツとも言えるPorschトラクターもゴトゴトと元気に走っていました。可愛く美しいデザインでリアエンジン車のBMW700(1960年式)や、珍しい(というか初めて見ました!!)Borgward Isabella(1959年式)、旧東ドイツのトラバントなどもいました。水陸両用車AMPHICAR(1967年式)もグルグルと周回をしています。そしてお馴染みVWビートルなど、いかにもドイツのクラシックカーイベントらしいラインアップなのですが、きっちりとVOLVO PV445(Duett1960年式)やVOLVO 1800ESなども「Hナンバー」を付けて加わっていました。この「Hナンバー」ですが、ナンバープレートの末尾に「H」の文字が付くもので、「ヒストリック」の意味です。ある一定年式より古い車で車検を取る際に、「Hナンバー」を申請。審査に通ると発行されて、通常の税金よりはるかに優遇された税金となるそうです(車種によっては通常課税の1/10とか、、)。さすが、車社会、車文化の熟成したドイツです。自動車文化の継承にクラシックカーがきちんと認知されている証ですね。ということで、束の間の休日なのですが、今夜はクラシック三昧ということで、クラシックコンサートに行きます。
Rumors say that in Japan, this year's Golden Week has been just that - a very golden week. However, out here in Cologne Germany, things remian a bit difficult. Despite this, Sunday is a rest day that god has given us so everything in Germany is closed. So, I walked away from work and into the old town of Cologne - to an event called Oldtimer Datenblatt. The old timer cars drive around in a circle so that all can see. Cologne is the town where in the past, Ford Europe had its headquartered - and the car that signifies the town is the Ford Taunus. There was a 1951 Ford Taunus with the marque of the great cathedral on its front grill. At the stand, a gentleman was giving a speech about the GLAS 1700GT.Of course, this is germany, so there were Auto Unions, Porsches - in addition to an old Porsche tractor trailer. There was a rear engine BMW700 (1960), in additionto a very rare Borgward Isabella (1959), a Trabant and a 1967 Amphicar. My interest, of course, was the Volvo PV445 (Duett 1960) and a Volvo 1800ES. All these cars came standard with a license plate number that ended with a H. The H stands for historic car, and once the car is registered under this number, it enjoys various benefits like tax breaks and other. Germany is a great auto country and it is this heritage that enables people to enjoy the auto culture.
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”春一番”シーズン開幕 SplendoreTOKYO

3月25日(日)東京・お台場を起点に行われた「SplendoreTOKYO」を応援に行ってきました。
三寒四温で鬱陶しい雨空が続いていましたが、この日は朝から気持ちよく晴れあがり、まさに、クラシックカーラリー日和!シーズン開幕にふさわしいイベントでした。実は、11月に行われる史上「日本最長ラリー」となる12日間、6000kmの「SplendoreJAPAN」に出場を決意していることから、足慣らしも兼ねて”春一番”のこのラリーにも出場しようかな、、、。とは思っていたのですが、なかなか春の気配が感じられず、雨模様の日が続いていたので、パスを決め込み、応援に行ったというわけです。午前8時にお台場の「船の科学館」駐車場をスタートしたクラシックカーは約90台。房総半島のマザー牧場を経由し、昼食を「富浦ロイヤルホテル」で摂って、午後2時過ぎにはお台場の「ホテル・トラスティ」にゴールするという1dayイベントです。参加車(写真順)には、クラシックカーラリーの常連、常勝のベテランHさんのMG-TD(1952年)、堺正章さんの愛車MASERATI A6 GCS(1948年)、そして、珍しいERMINI(1948年)やAUTO UNION DKW(1959年)などに交じり、私の所属するTACC(東京有明カークラブ)からもIさんのSTANGUELLI 1100S(1947年)とMさん/Nさん組 VOLVO P1800S(1965年)も参加していました。”線踏み”もスタートの1か所だけ、あとはタイムラリーということで、のんびりとした春のツーリングだった
ようで、VOLVO P1800SのM/Nさん組も「マザー牧場にソフトクリーム食べに行ってきたのよ!!」と勝ち負け抜きの笑顔一杯で、とても楽しそうでした。私も「・122」AMAZONで出場すれば良かったな、、、とちょっぴり残念なような、悔しいような。でも、来月4月21日(土)22日(日)の両日には「AMAZON春のツーリング」です。14台のAMAZONを連ねての箱根・芦ノ湖ツーリングを心待ちにすることにします。いよいよ春のクラシックカーシーズンが開幕ですね。
さあ、地下駐車場で冬眠している「・122」AMAZONを起こさなければ、、、。
On March 25th (Sun) I went to Odaiba to welcome back the classic rally "Splendore Tokyo". The weather had been going back and forth between cold & warm with lots of rain, but from this morning, the skies opened up to clear and beautiful sunshine, fit for the first classic rally of the year. I also considered entering, but with the weather being rather grey, had decided against it. The rally started off from the Maritime Museum at 8am with 90 cars, went to Mother Farm on the Boso peninsula onto Tomiura Royal hotel for lunch and coming back to Hotel Trusty at Odaiba at 2pm. The regulars were there; MG-TD(1952),MASERATI A6 GCS(1948), in addition to a rare ERMINI (1948), Auto Union DKW (1959). My friends from TACC were there also : STANGUELLI 1100S(1947) and the Volvo P1800S (1965). There was only one time control and the rest was a pleasant spring drive. Everyone looked like they enjoyed themselves. I was a bit envious. That being said, I am off to an Amazon touring on the 21st & 22nd of April with 14 other Amazons out to Hakone & Ashinoko. So, here's to the classic car season.
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謹賀新年 「正夢」今年の一大決心!!

謹賀新年。あけましておめでとうございます。今年も「・122」AMAZONと共に楽しく、充実した一年にしたいと思っています。ところで、昨年末に、ちょっとした情報を入手しました。今年11月
1日から12日まで、12日間“6000Km”のクラシックカーによる「日本一周ラリー」が行われる計画があるのです。私と「・122」AMAZONが第一回から連続エントリーしている「Rally Nippon」は11月3日から6日なので、日程が見事に被っているのですが、この「日本一周ラリー」は、次の
開催は3年後2015年と言われているので、何とか“元気なうちに”参加したいと画策してます。“日本一周”というのにも憧れますし、恐らく私の知る限り“6000Kmラリー”というのは、日本では初めてだと思います。1958年(昭和33年)に読売新聞(現在のRally Nipponを協賛しています。皮肉ですが、、、)が「日本一周ラリー」を通産省 外務省、運輸省、各都道府県の協賛で開催
したのが日本の本格的ラリーの最初でした。それでも16日間をかけて4000Kmでした。その後、私が学生時代から篠塚建次郎などと挑戦していた日本で最も過酷といわれた「日本アルペンラリー」も4日間2000Kmくらいでした。で、私が“どうしても挑戦したくて”30歳代にSUBARU
チームで参加した1983年当時の東アフリカ・サファリラリーは、5日間で6300Kmをろくに寝ずにひたすら極悪路を走破する世界一過酷なラリーと言われていました。幸運にもクラス優勝、総合5位を獲得し、当時の日本人最上位を獲得出来たのですが、その走行距離とほぼ同じ距離の6000Kmのラリーが“初めて”日本で行われようとしているのです。それもクラシックカーで、、、。ま、サファリラリーの5日間と比べれば2倍以上の12日間をかけて6000Kmを走るのですから、
当然スピードは半分以下。とはいえ、なにせクラシックカーで日本一周ラリーをやろうと言うのですから見逃せません。私もサファリラリー参戦当時から倍近く年齢を重ね64歳となってしまいましたが、“どうしても挑戦したくなる”のもお分かりいただけると思います。ちょうど同時期に開催される「Rally Nippon」に第1回から連続エントリーして来た身としては、ちょっと引け目も感じるのですが、「・122」AMAZONと共に全身全霊を賭けて日本一長距離“6000Km”「日本一周ラリー」を走りたいと思っています。これから、体制を整えるのですが、「・122」AMAZONは、
きちんと整備し、大事に走れば6000Kmくらい問題ないと思います。あとは、コ・ドライバーとの
相性と、私自身の体力と精神力だと思います。そんなこんなで、「日本一周ラリー」への出場を画策しています。これ「初夢」では終わらせません。「正夢」として今年の大きな目標の一つに
設定しました。
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番外編 東京モーターショーに”レプリカ”ラリーカー!!

東京モーターショーの最終週末となる12月10日(土)、11日(日)の両日、”Concorso di Replicacar”なるイベントを会場正面玄関前で行いました。2年に一度の東京モーターショーですが、今年から会場を幕張から東京ビッグサイトに移しての開催です。12月2日(金)から11日(日)までの会期中の入場者は、2年前の開催と比べて37%アップの84万人以上。最終日は快晴に恵まれ15万人以上の人々が列を作りました。その様は、目を疑うばかりの人の波、、、でした。その盛り上げのためのイベント企画を依頼されてレプリカカーのコンテストを行ったのです。往年のラリーカー”そっくり”のカラーリング、装備のレプリカカーが全国から70台近くも集まってくれました。どれもこれもホンモノと見間違うほどの出来栄えです。もっとも、ラリーのスタートを模したゲートには、ホンモノの”ランチアS4”(GrB最後のモンスターマシン、M・ビアシオン優勝車そのもの)を展示してのイベントですから、ホンモノとの見分けも、よほどのマニアでないと???サファリラリー出場車を模したスバル・ヴィヴィオ(軽四輪!!)のオーナーも、プジョーの女性オーナーもスタートゲートで”ラリードライバー”気分。泥だらけ+路肩の草までボンネットに挟んだ、”リアル”ラリー仕様の三菱ミラージュから「リストリクター違反仕様」と書かれたセリカGt-Four、C・サインツそっくり顔のマネキン人形がコックピットに座ったフォード・エスコート、ダットサンPA10はサファリラリーを彷彿する臨場感溢れる”マネキン人形”サービス風景の実物大ジオラマ展示、勿論、内装もHaldaのラリー計器も、並べられた部品もホンモノそのものです。ランチア、プジョー、シトロエン、セリカ、、、などなど、カラフルなレプリカカーがずらりと並び、さながら、WRCのスタートかサービスパークを思わせる盛り上がりでした。会場内の国産メーカー各社の展示が、「環境」と「EV」そして、意味不明な抽象的表現に終始する中、唯一の派手で楽しいイベントが行えたと自負しています。2年後の東京モーターショーでも会場入り口での開催をすでに打診を受けました。ちょっと疲れましたが、この”Concorso di Replicacar”を東京モーターショーの”顔”にしたいと思っています。
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