AMAZON Life by SUNA

「AMAZON OWNERS CLUB」時代から30年余り。
再び AMAZONとのカーライフを楽しむこととなったSUNAと仲間達の日々。
40年、50年、そして60年へとVOLVO AMAZONと共に辿るTime Trip。

   涙の追い討ち・・と時間の勝負!

PV544を”Eric”の工場にドック入りさせたのが先週の火曜日。すでに12日間が経ってしまいました。その間、毎日工場で”Eric”と問題部品の調達に明け暮れていました。とくに、一番問題となったのは、4輪のドラムブレーキです。「・122」Amazonの整備、修復でも部品のオーダーをしているスウェーデンのクラシックVolvoと純正パーツの専門ショップCVIにもPV544用のブレーキドラムの在庫が無く、世界各国のショップをネット検索しましたが、すぐに手配出来るものは見つかりません。もちろん、重量の重い部品ですから、運送費も考えるとアメリカにあれば、それに越したことはありません。しかし、アメリカのクラシックVolvoのパーツ専門ショップIPDにも在庫は見つかりませんでした。とにかくブレーキドラムが無ければ走れませんので、必死に探しました。そして”Eric”の同業で東海岸のクラシックVolvoの整備屋がストックしていることを突き止め、やっと先週オーダーに漕ぎ着けたのです。これで難題は解決かと思いきや、実は、さらに涙の事件が発生しました。”Eric”の工場には、AmazonからP1800、エステートまで、次から次へとクラシックVolvoの整備が入って来るのです。一応、予約をしてPV544の居場所は確保していたのですが、なにしろ大整備となってしまい、部品が届くまで整備に入れないとのことで、遂に、炎天下の工場屋外に出されてしまいました。そして、翌日工場に行ってみると、PV544の下にはガソリンの漏れた跡が・・・。そうです、ガソリンメーターが動かないので正しくは分かりませんが、ほぼ満タンのガソリンが漏れ出してしまったのです。写真の通り、PV544をとめた場所が給油口側に傾斜しており、炎天下でガソリンが膨張、タンクのエア抜きも機能していなかったようで噴き出したということです。挙句に、ガソリン漏れを炎天下で放置したことで、給油口下のモールに溜まったガソリンがボディペイントを見事に剥がしてしまいました。せっかく、とても綺麗なボディに惚れ込んだのですが、落胆するやら悔しいやら・・・涙、涙の追い討ちとなってしまいました。仕方なくカー用品屋でタッチアップペイントを買って来て、リペアを試みていますが、何ともなりません。ということで、悪戦苦闘の整備ですが、帰国までの日数も迫り、来週には少なくとも1000Mile(1600Km)くらいは、テストドライブをして問題点修復の再確認と洗い出しをして、再整備の指示とシカゴへの搬送手配をせねばなりません。部品もほとんどが揃いましたので、この週末は土日を返上して、全開で”Eric”と共に、私も手伝えるところは手伝い、何とか週明けには走れるまでに仕上げる覚悟です。
とはいえ、土曜日の今日は、エンジンもキャブレターも、このような状態なのですが・・・トホホ。
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   外見では分からない大整備で・・涙!!

90Mile(144Km)を、なだめすかして、TorranceのクラシックVolvo専門工場に運び込み、たった一人で切り盛りする”Volvoマイスター”と評判の”Eric”の徹底点検を受けました。約2時間の工場までの移送で、オイルプレッシャーランプは点灯するし、ガソリンメーターは作動せず、クラッチの遊び異常やステアリングセンターの狂い、さらには、4輪ドラムブレーキにしても、とにかく不安定・・・など、いくつかの不具合は体感していました。”Eric”の診断は、とても的確でしたが、次々と問題点が指摘されました。その中でも、驚愕せざるを得なかったのが、4輪ドラムブレーキの取り付け方法が規定通りでは無く、あるブレーキは、上下逆に取り付けられていました。この影響もあるのでしょうが、何と4輪ドラムブレーキの内、2輪は、ドラムが欠損しており、他のドラムも限界まですり減って、ヒビ割れが起きていました。もちろん、Route66を2600Mile(4160Km)以上も、この古いPV544で走ろうというのですから、特に安全性への整備は徹底せねばなりません。エンジンも音自体は静かなのですが、アイドリング時の揺れが激しく、これも、SUキャブレターの問題とエンジンの不具合と判定。結局、シリンダーの排気機能を回復させるためにカムシャフトの交換も余儀なくされることとなりました。そんなこんなで、ブレーキを含む足回りは全て分解整備。エンジンもキャブもカムシャフト交換を含めた大整備となってしまいました。ボディ外観もエンジンルームも、下回り塗装も・・・とても綺麗で、前後サスペンションはすべて純正新品、マフラーもバンパーも純正新品だっただけに、まさに、古い車は「外観だけでは分からない」ということを、「・122」Amazonに続き、またしても体感することになり、涙、涙です。そして、もっと、涙の追い討ちをかけられることになったのですが、それは、次回にご報告させていただきます。
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   PV544を名義変更して引き取り

前オーナーのBさんから、愛車PV544を引き取る日がやって来ました。まずは、2種類の書類を用意します。「Bill of Sale」と呼ばれているDMV(Department of Motor Vehicle=陸運局)が発行するVehicle/Vessel Transfer and Reassignment Formが必要でした。新たに名義変更するために必要な書類です。Sellerの部分に、売り手のBさんの名前、住所、サイン、運転免許証ナンバーを記入し、さらに、責任移転を明確にするためにOdometerの部分に走行距離を記入します。もう1枚は”Pinc Slip”と呼ばれる日本の車検証にあたるもので、アメリカでは通常車内に携行せずに家等に保管しておくそうです。これには、過去の所有者が明記されており、Bさんのサインをもらい、走行距離を明記して譲渡してもらいました。この2枚の書類と登録料を持って各市町にあるAAA(アメリカン・オートモビル・アソシエーション=アメリカ自動車連盟。JAFと同等)で、強制保険加入と共に、手続きを終えれば名義変更は完了です。すべてを含めても30分ほどで済みました。ということで、晴れて入手出来たPV544ですが、オイルゲージをチェックしたら、まっ黒!およそ90Mile(144Km)ほどフリーウェイを走って、工場まで運ぶので、まずは、オイルエレメントとオイル交換。ここでも、早速、オイル交換係りのお兄さんが写真撮影をしていました。で、颯爽とフリーウェイを走り出したのですが、30分も走らずに、オイルプレッシャー警告灯が点滅。慌ててフリーウェイを下りて点検しましたが異常なし。この先の不安を感じながらも、なだめすかして、60Mile/h(96Km/h)以下を守りながら・・・フリーウェイは、流れが速く、この速度でも超大型トレーラーに追い上げられるは、ブチ抜かれるはで、一瞬も気を抜けず、手に汗握り・・・何とか工場のあるTorranceに辿り着きました。案の定、工場での徹底点検では、いろいろと大変なことになるのですが、次回にご報告します。
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   ”Route66”プロジェクトが発進しました!!

ブログは、ちょっとご無沙汰していました。ル・マン24時間レースの対応をしており、長期間日本を留守にしたもので・・・。ということで、WEC(世界耐久選手権)の長い夏休みを利用して、念願の”Route66”プロジェクトが発進しました。
この”Route66”プロジェクトは、私が、かねてから、66歳になったら、絶対に実行する・・と決めていました。ただ、当初は、台湾一周ラリーに「・122」Amazonをカルネ(一時海外持ち出し免税協定)で運んだように、アメリカへもカルネでAmazonを運ぶ計画でした。しかし、9.11テロ事件以降、アメリカは、個人車のカルネ持ち込みを厳しく制限していました。数度にわたりアメリカ大使館と交渉しましたが不可能でした。そこで、残る手段は、アメリカで車を探し、購入し、名義変更をしてRoute66を走破するしかありません。アメリカの中古車売買のネットや、個人売買情報などを、片っ端からチェック。基本はAmazonを考えていたのですが、探しているうちに、どうせなら、もっと古いPV544が照準となりました。これは、”Route66”を走破して、もし、その車が気に入ってしまい、日本へ持ち帰りたくなった時に、同じAmazonを2台所有しても・・・という気持ちの表れでもありました。”Route66”は、TV映画や、歌で、我々終戦っ子には、「憧れのアメリカ」の象徴であり、いまだに夢を掻き立てる存在です。1926年に、アメリカ初の大陸横断道路として開通し、「夢と希望」を達成するために、アメリカ大陸を西海岸へと人々が移動した「アメリカを代表する」”マザーロード”とも呼ばれています。
シカゴからロサンゼルスのサンタモニカまで、約2600Mile(約4200Km)の”Route66”は、イリノイ州、ミズーリ州、カンサス州、オクラホマ州、テキサス州、ニューメキシコ州、アリゾナ州を経て、カリフォルニア州のロサンゼルスへと続きます。しかし、88年の時を経て、アメリカの大動脈だった”Route66”も時代の流れと共に、刻々と新しい幹線道路とフリーウェイに、その役割を託すこととなり、それに伴い、沿道の街も、人々の生活も大きく様相を変えて来ました。とはいえ、”Route66”を愛してやまない人々もたくさんいます。その人々が、今、”Route66”を現代に残し、甦らそうとしています。そんな「マザーロード」”Route66”の”繁栄”と”淘汰”そして”郷愁からの甦り”を、VolvoPV544と共に、つぶさに見て、体感してこよう・・・というのが66歳を機に実行する”Route66”プロジェクトです。実施期間は、8月27日(水)にシカゴをスタートして、極力もっとも古い”Route66”を辿り、9月14日(日)にロサンゼルス・サンタモニカにゴールする予定です。
ということで、PV544探しと、入手、名義変更、点検、整備、そして、シカゴへの搬送手配などのために、ル・マン24時間レースの対応から帰国してすぐに、アメリカ西海岸ロサンゼルスに来ています。すでに、興味のあるPV544は3台に絞り込んで、古い車だけに、経歴とコンディションを把握するために、すべて個人オーナーと直接交渉をしました。そして、入手に至ったのが、この1963年式PV544です。オーナーは、ロサンゼルスから1時間半ほどの郊外に住むBさん。レストア済のPV544をフロリダから購入。15年間乗って来たものの、2人の子供のためにSUVを購入することになり、やむなく手離すことにしたそうです。3台の候補車の中で、もっとも外装、内装、エンジン等が綺麗だったことが選択理由でした。さらにカリフォルニア州独自の「HISTORICAL VEHICLE」ナンバー登録をしていることも魅力でした。この「HISTORICAL VEHICLE」登録は、きちんと整備をして、経歴、由緒を申請して認められなくてはなりません。そして、認可を受けるとナンバー登録料や諸費用が控除されるのです。このような制度は、ドイツをはじめとした欧州にもありますが、自動車文化を継承するための施策として高く評価されています。日本のように、年を経るごとに税金、保険料が高くなり、「古い車は、さっさと潰せ」的な、新車を売るがための施策とは大きな違いです。当然、カリフォルニアナンバーのままで名義変更をしましたので。この「HISTORICAL VEHICLE」ナンバーのまま、”Route66”を走破します。それでは、順次、準備の進行具合をご報告いたします。
Route66タイトル用地図.png140706 Route66地図.jpg2014-07-01 08.18.02.jpg2014-06-25 03.36.29.jpg140710 PV真正面.jpg2014-06-25 03.36.09.jpg2014-06-25 03.35.09.jpg2014-06-25 03.35.18.jpg
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