AMAZON Life by SUNA

「AMAZON OWNERS CLUB」時代から30年余り。
再び AMAZONとのカーライフを楽しむこととなったSUNAと仲間達の日々。
40年、50年、そして60年へとVOLVO AMAZONと共に辿るTime Trip。

   PV544を名義変更して引き取り

前オーナーのBさんから、愛車PV544を引き取る日がやって来ました。まずは、2種類の書類を用意します。「Bill of Sale」と呼ばれているDMV(Department of Motor Vehicle=陸運局)が発行するVehicle/Vessel Transfer and Reassignment Formが必要でした。新たに名義変更するために必要な書類です。Sellerの部分に、売り手のBさんの名前、住所、サイン、運転免許証ナンバーを記入し、さらに、責任移転を明確にするためにOdometerの部分に走行距離を記入します。もう1枚は”Pinc Slip”と呼ばれる日本の車検証にあたるもので、アメリカでは通常車内に携行せずに家等に保管しておくそうです。これには、過去の所有者が明記されており、Bさんのサインをもらい、走行距離を明記して譲渡してもらいました。この2枚の書類と登録料を持って各市町にあるAAA(アメリカン・オートモビル・アソシエーション=アメリカ自動車連盟。JAFと同等)で、強制保険加入と共に、手続きを終えれば名義変更は完了です。すべてを含めても30分ほどで済みました。ということで、晴れて入手出来たPV544ですが、オイルゲージをチェックしたら、まっ黒!およそ90Mile(144Km)ほどフリーウェイを走って、工場まで運ぶので、まずは、オイルエレメントとオイル交換。ここでも、早速、オイル交換係りのお兄さんが写真撮影をしていました。で、颯爽とフリーウェイを走り出したのですが、30分も走らずに、オイルプレッシャー警告灯が点滅。慌ててフリーウェイを下りて点検しましたが異常なし。この先の不安を感じながらも、なだめすかして、60Mile/h(96Km/h)以下を守りながら・・・フリーウェイは、流れが速く、この速度でも超大型トレーラーに追い上げられるは、ブチ抜かれるはで、一瞬も気を抜けず、手に汗握り・・・何とか工場のあるTorranceに辿り着きました。案の定、工場での徹底点検では、いろいろと大変なことになるのですが、次回にご報告します。
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   ”Route66”プロジェクトが発進しました!!

ブログは、ちょっとご無沙汰していました。ル・マン24時間レースの対応をしており、長期間日本を留守にしたもので・・・。ということで、WEC(世界耐久選手権)の長い夏休みを利用して、念願の”Route66”プロジェクトが発進しました。
この”Route66”プロジェクトは、私が、かねてから、66歳になったら、絶対に実行する・・と決めていました。ただ、当初は、台湾一周ラリーに「・122」Amazonをカルネ(一時海外持ち出し免税協定)で運んだように、アメリカへもカルネでAmazonを運ぶ計画でした。しかし、9.11テロ事件以降、アメリカは、個人車のカルネ持ち込みを厳しく制限していました。数度にわたりアメリカ大使館と交渉しましたが不可能でした。そこで、残る手段は、アメリカで車を探し、購入し、名義変更をしてRoute66を走破するしかありません。アメリカの中古車売買のネットや、個人売買情報などを、片っ端からチェック。基本はAmazonを考えていたのですが、探しているうちに、どうせなら、もっと古いPV544が照準となりました。これは、”Route66”を走破して、もし、その車が気に入ってしまい、日本へ持ち帰りたくなった時に、同じAmazonを2台所有しても・・・という気持ちの表れでもありました。”Route66”は、TV映画や、歌で、我々終戦っ子には、「憧れのアメリカ」の象徴であり、いまだに夢を掻き立てる存在です。1926年に、アメリカ初の大陸横断道路として開通し、「夢と希望」を達成するために、アメリカ大陸を西海岸へと人々が移動した「アメリカを代表する」”マザーロード”とも呼ばれています。
シカゴからロサンゼルスのサンタモニカまで、約2600Mile(約4200Km)の”Route66”は、イリノイ州、ミズーリ州、カンサス州、オクラホマ州、テキサス州、ニューメキシコ州、アリゾナ州を経て、カリフォルニア州のロサンゼルスへと続きます。しかし、88年の時を経て、アメリカの大動脈だった”Route66”も時代の流れと共に、刻々と新しい幹線道路とフリーウェイに、その役割を託すこととなり、それに伴い、沿道の街も、人々の生活も大きく様相を変えて来ました。とはいえ、”Route66”を愛してやまない人々もたくさんいます。その人々が、今、”Route66”を現代に残し、甦らそうとしています。そんな「マザーロード」”Route66”の”繁栄”と”淘汰”そして”郷愁からの甦り”を、VolvoPV544と共に、つぶさに見て、体感してこよう・・・というのが66歳を機に実行する”Route66”プロジェクトです。実施期間は、8月27日(水)にシカゴをスタートして、極力もっとも古い”Route66”を辿り、9月14日(日)にロサンゼルス・サンタモニカにゴールする予定です。
ということで、PV544探しと、入手、名義変更、点検、整備、そして、シカゴへの搬送手配などのために、ル・マン24時間レースの対応から帰国してすぐに、アメリカ西海岸ロサンゼルスに来ています。すでに、興味のあるPV544は3台に絞り込んで、古い車だけに、経歴とコンディションを把握するために、すべて個人オーナーと直接交渉をしました。そして、入手に至ったのが、この1963年式PV544です。オーナーは、ロサンゼルスから1時間半ほどの郊外に住むBさん。レストア済のPV544をフロリダから購入。15年間乗って来たものの、2人の子供のためにSUVを購入することになり、やむなく手離すことにしたそうです。3台の候補車の中で、もっとも外装、内装、エンジン等が綺麗だったことが選択理由でした。さらにカリフォルニア州独自の「HISTORICAL VEHICLE」ナンバー登録をしていることも魅力でした。この「HISTORICAL VEHICLE」登録は、きちんと整備をして、経歴、由緒を申請して認められなくてはなりません。そして、認可を受けるとナンバー登録料や諸費用が控除されるのです。このような制度は、ドイツをはじめとした欧州にもありますが、自動車文化を継承するための施策として高く評価されています。日本のように、年を経るごとに税金、保険料が高くなり、「古い車は、さっさと潰せ」的な、新車を売るがための施策とは大きな違いです。当然、カリフォルニアナンバーのままで名義変更をしましたので。この「HISTORICAL VEHICLE」ナンバーのまま、”Route66”を走破します。それでは、順次、準備の進行具合をご報告いたします。
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  惨敗”Prospect Classic”2連覇ならず

大雪に首都圏が襲われた週末の2月16日(日)茨城・常陸那珂で行われた”Prospect Avenue Classic”に出場しました。昨年のこのラリーでは優勝していたことと、「線踏み」が一切無く、林道を使用したタイムラリーであり、さらに秒計時のシークレットチェックポイント(CP)で勝負が決まるという、昔からのラリーそのものなので、2連覇を・・・などとタカを括ってエントリーしました。とはいえ週末は都内も大雪、当然、首都高速も東京から地方への高速道路も完全麻痺で通行止め。16日(日)は天気が回復見込みの予報なので、さあ、どうするかと悩みに悩みました。主催者へ連絡すると「常陸那珂はほとんど雪は降らずに雨だったので、全然問題なし。ラリーは行う」とのこと。となれば何としてでも出場せねばなりません。もともと、ラリーは大自然との闘いでもあるし・・・。しかし、「・122」Amazonは、オーストリア製のクラシックカー専用ラジアルタイヤしかありません。それもコチコチのハードタイヤですから雪やアイスバーンではズルズルです。先回のモーガンクラブのラリーも早朝の小雪に見舞われ、久々に”手に汗握る”ドライビングを強いられました。今回の大雪はその比ではありません。Amazonを格納している地下ガレージから地上への急に回り込むスロープは絶体絶命。雪が降り出すのと同時に地上駐車場へ”疎開”させました。ところが、その駐車場前の路地も吹き溜まりで30cm以上の積雪。ラリーは午前8時集合ですから、東京から最低2時間はかかるので、どんなに遅くても午前6時には出発せねばなりませんし、それも常磐自動車道が開通したら・・・です。可能な限りAmazon前の路地の雪かきをしながら、前夜は交通情報とにらめっこで夜が更けました。ところが、真夜中の午前2時半過ぎに、他の高速道路は、全く開通する見込みも無い中、常磐自動車道”のみ”開通したのです!こうなれば絶対に行かねばなりません。ただ、未明の開通ですからアイスバーンは容易に予想出来、充分な時間を取るべく真っ暗闇の東京をソロソロと出発しました。しかし、首都高速から常磐自動車道へと乗ってしまえば、全く問題なく茨城県・常陸那珂へと走ることが出来ました。ラリー主催者で数々のクラシックカーラリーでご一緒しているポルシェコレクターのM先生に聞くところ「常陸那珂は全国でも最も降水確率の低いエリアのひとつ」とのことで、確かに根雪すら見受けられません。東京の大雪が嘘のような太陽と青空のもと午前8時にはスタート地点に到着出来ました。続々と出場車が集まって来ましたが、さすがに「熱い」ラリーストが多いようで、40台余りのクラシックカーが、大雪を克服して集合しました。とにかく、秒計時のシークレットチェックが勝負ですから、細かい補正と常にオンタイム走行が強いられます。どのコ・ドライバー(さすがに昔からラリーをやって来たベテランが多く、当然お歳よりばかり・・)もストップウォッチと計算機で戦闘モード。「・122」Amazonのコ・ドラは、いつものKさん。40年前から使用している「円盤」(RallyMate)とホイヤーのストップウォッチが武器です。さらに秒針が明確な電波時計も追加装備、2連覇へ向けて、ヤル気満々でスタートし、順調にシークレットチェックをクリアしていたのですが・・・・このラリー最大のヤマ場となった、林道での”ダブル”シークレットチェックの最初をピタリと通過して、指示速度38Km/hで細い林道を全力で駆け上って、何とか4秒遅れを克服しそうな時に出て来たY字路。コース図には無い「道なり」林道なのですが、頑張ってコーナーを曲がった直後の出現でAmazonnを止めた位置も悪く、間違った「道なり」を選択してしまい、更に遅れを戻すべく全開でミスコース!!異常に気づき戻った時には、時すでに遅く、間違ったY字路のすぐ先にあったシークレットチェックポイントに5分遅れでチェックイン。それも、そこのチェックポイントには、RallyNipponなどで「・122」Amazonのコ・ドライバーを務めてくれているTさんがオフィシャルで居たのです。「Amazonが3秒遅れでY字路に現れたので、他車が皆大きく遅れている中でさすが・・・と思ったら、違う道へ全開で飛んで行ってしまった・・・あのまま来れば、間違いなく優勝だったのに・・」というわけで、2連覇どころか、箸にも棒にもかからなくガックリ。ま、これがラリーです。また次のラリーでリベンジです。しかし、無念・・・というかメチャクチャ悔しい、「逃げた魚は大きい」大雪の週末でした。

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  雑誌掲載続々!! 「台湾一周ラリー」参戦記事

昨年、11月28日から12月1日まで「・122」AMAZONと共に出場した”Rally Nippon”「台湾一周ラリー」の記事が続々と雑誌に掲載されました。先月発売の「Octane日本版」、「PAVONE」、そして明日2月1日発売の「CAR GRAPHIC(CG)」には、6ページに渡って参戦記事が掲載されています。初めての台湾、そして「・122」AMAZONにとっても初の海外遠征ラリーは、とても想い出深いものとなりました。ご興味のある方は、書店で手に取ってご覧ください。
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  RallyNippon台湾一周ラリー 奮戦記

11月16日(土)に横浜・大黒埠頭の保税倉庫からコンテナに2台づつ格納船積された「・122」Amazonを含む60台余りのクラシックカーは、11月26日(火)台湾・台北の保税倉庫で我々の到着引取りを待っていました。外交関係の無い国でのラリー走行ですから、我々ドライバーはJAFで免許証の中文翻訳証「日本駕照中文翻譯」を取得し、「・122」Amazonは、特別申請の臨時ナンバープレート「臨G03952」を発行してもらいました。ゼッケンは43番。

そして、11月28日(木)午前8時にホテルを出発してスタート地点の台湾・総統府前広場へ。生憎の小雨模様でしたが、広大な広場には、普段見ることの出来ないクラシックカーを見ようとたくさんの人々が待ち受けていました。台湾では車検規定が現代車を基準に適用されているために、クラシックカーの車検取得は難しく、当然街中では見ることが出来ません。その台湾に日本から60台余りのクラシックカーが集結したのですから、平日にも関わらず大勢の人々が集まりました。

午前10時。ゼッケン1番の1927年BUGATTI T35Bから10台の戦前車に続き年代順に61台のクラシックカーが次々とスタートを切り、台湾を反時計回りに4日間で一周する1300km余りのラリーへと旅立ちました。Day1は台北から台湾西側を南下し、台中の景勝地「日月潭」への200Km弱。台北からの高速道路は、素晴らしく完備されていて、当然ETCも当たり前。しかし、我々は、臨時ナンバーの台湾未登録車なのでETCは装着出来ずに現金と回数券でゲートを通過。この間に、2か所の3連続計6PCの「線踏み」が設定され、1/100秒計時が行われました。

どこのPCも人垣を掻き分けるようにPCにたどり着くのですが、かつて経験したことのないような”熱烈歓迎”に私の「線踏み」も翻弄されて、初日からイマイチ・・。幻想的な湖畔に佇む有名なデザイン・ホテル「THE LALU」に癒されて、夜は更けて行きました。

Day2は「THE LALU」を朝8時にスタートし、台湾・南端の高雄を目指します。Day2も2か所の3連続計6PCが設定されましたが、「高雄世貿展覧中心」前広場では、高雄市長が出席する歓迎ランチ。ここでも大観衆がクラシックカーの集結を待ちわびていました。今回のRallyNippon台湾一周ラリーには、石川県のTさんも白いストライプが鮮やかな「・122」Amazonで参加をしているので、2台の「・122」Amazonが一緒に走る場面も多く、観衆へのインパクトは充分!熱心なファンのサイン攻めにもあいました。

そして、Day2の締めくくりは、台湾で唯一のFIA公認サーキット「大鵬湾国際賓車場」(Penbay International Circuit:PIC)での3連続「線踏み」PC。30mを7秒、20mを4秒、そして、1周3.517kmのコースを2周して600秒で1/100秒を競うという設定。コース自体は、旧日本軍の最南端航空基地跡を利用しているのでフラットながらも複合コーナーがいくつも連続するテクニカルコース。しかし、全体スケジュールが遅れたこともあり、ゼッケン43番の「・122」Amazonが走る頃には夕闇で真っ暗。コース照明も全く無い中、旧いマーシャル(通称デベソのバルブ球)のスポットライトを頼りに走りました。

Day3は、PICサーキットホテルを午前8時にスタートして台湾東海岸を北上です。今回のラリー最長350Km余りをひたすら走るコースに2か所の3連続計6PCが待ち受けていましたが、どうも、毎日、出だしのPC処理が上手く行かずに苦戦。当初の”野望”が遠ざかってしまいました。Day3は、花蓮の港にも近いホテルにゴール。翌朝、ラリー最終日12月1日(日)Day4のフェリー乗船に備えました。本来は花蓮から陸路で北上し台北市内の最終ゴールを目指す予定でしたが、先日の大型台風で道路が寸断され、急遽、フェリーに乗船、台北まで140km地点まで移動することになりました。

大型フェリーはかつて東日本フェリーが青森航路などで運航していた「なっちゃん号」。1時間半の船旅は快適そのもの。その後の台北までの140Kmは、伊豆半島にも似た美しい海岸線を走り、湘南のビーチラインを走るような気持ちの良いドライブで、ゴールを目指しました。ところが、快晴の日曜日の夕方とあって、案の定、日が暮れると共に台北へと戻る車のテールランプの長い列が、真鶴道路の渋滞のように海岸線のはるか彼方へと続く列へと並ばざるをえなくなってしまいました。

本来の台北市内「中世紀念堂」へのゴールは午後4時半となっていましたが、この夕闇迫る渋滞に呑み込まれたのが午後4時半。「・122」Amazonの前後には戦前車も何台かいましたが、さすがに6Vの古い車には、苦痛以外の何物でもなかったと思います。その後も真っ暗になった渋滞を耐えて、台北市内の混雑を抜けて「中正紀念堂」に到達したのは、なんと午後7時過ぎ。

3時間もゴールが遅れたにも関わらず、「自由廣場」には、驚くばかりの人々が集まっており、まさに”熱烈歓迎”の極致。ところが、リージェントホテルへ移動してのFinalPartyが本来7時半開始なので、ゴールをすると、どの出場車も大急ぎでホテルを目指したのでした。

慌ただしくシャワーを浴びて、“貸衣装”のタキシードに着替えてFinalPartyが始まったのは午後9時過ぎ。こうしてアタフタと4日間のRallyNippon台湾一周ラリーは幕を閉じました。

で、成績ですが、「上の下」というところで、上位の常連ベテランの方々に、何とか食い込もうという”野望”は、またまた果たせぬ夢となってしまいました。

でも諦めません。ゴールの翌日、コ・ドライバーを頑張ってくれたTさんと共に”願いを叶える”ために“十扮”とう山間の街まで「天燈上げ」に行ってきました。もちろん願を込めて書いたのは「古董車�荊力賓 勝利!!」。空高く飛んで行きましたが・・・果たして。

これで、今年の「・122」Amazonのクラシックカーラリー出場は終わりました。12月13日(金)に横浜・大黒埠頭に帰って来る「・122」Amazonと共に15日(日)は、TACC(東京有明カークラブ)の年末伊豆ツーリングに参加する予定です。

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Giro di Karuizawaで初の区間トップ!!

今年も「Giro di Karuizawa」が5月25日(土)、26日(日)の両日行われました。毎年、「Giro・・」と「Rally Nippon」には、”絶対に”出場すると決めていましたが、今年は、この週末に「Rally Nippon」(Y154=横浜)と「Giro・・」が重なってしまいました。ただ、「Rally Nippon」は、11月末に”台湾一周ラリー”があるので、私と「・122」AMAZONは、初の海外遠征を心に決めて、従来通り「Giro di Karuizawa」に出場することにしました。昨年は、それまで一緒に「Giro・・」に出ていたS大先輩が亡くなってしまい、参加を取りやめましたが、今年は、S大先輩の奥様の応援に見送られて40年来のラリー仲間Kさんと中軽井沢駅前広場をスタートしました。一昨年までは、「Giro・・」というと常に雨と濃霧に祟られて苦戦を強いられてきましたが、今年は真夏の様な太陽が照りつける快晴の2日間でした。「徹底的に”走り”に徹したクラシックカーラリー」との評判が高いだけに、例年通り往年のスポーツカーのオンパレードです。戦前車は、ゼッケン1番の1935年BMW319Sportの1台だけです。そして、年式順のゼッケンで「・122」AMAZONはゼッケン15番。つまり、比較的年式の新しい往年のスポーツカーばかりが集まった・・・と言う感じです。駐車場に並ぶとズングリむっくりの「・122」AMAZONと、やはり小さくコロンとした「三菱500」が”異彩”を放っています。この1965年「三菱500」は、俳優の唐沢寿明さんと、お笑いコンビ「フォーリンラブ」のバービーの相方ハジメこと佐藤肇さんが組んでいます。ま、ランチアストラトスまで並み居るスポーツカーに交じって、「突っ走るラリー」でどこまでやれるかが、私と「・122」AMAZONの楽しみなのですから、戦いの舞台に不満はありません。とはいえ、何しろ目立つので、困ってしまいます。「三菱500」は有名人だし、こちらは、二人合わすと年齢130歳という爺コンビ。ま、「変わり者」という目で見られても仕方ありません。ただ、ズングリむっくりでも、1983年、84年の欧州ラリーチャンピオンカーですし、我々爺組もかつては世界のラリーを戦ったのですから、頑張るのみです!ということで、我がコ・ドラのKさんは、昔取った杵柄で、今の人は見たことも無いような”ラリー用円盤”と、最新式カウントタイマーを駆使して臨みます。Kさんと交互に「・122」AMAZONのコ・ドラをやってくれているTさんは、今回は1967年ランチア・フルビアで出場です。こうなると、この二人のコ・ドラもお互い戦闘モードです。「Giro・・」名物の林道を閉鎖したヒルクライム計測区間「スペシャル・テスト」(960m)にも”当然”全開でタイムアタックしましたが、急なヘアピン連続のヒルクライムでは、ライトウェイトスポーツには「ちょっと」勝負にならない・・・というか歯が立ちませんでした。それより、ウデの見せ所は、長く、ワインディングの続くCP間をいかにタイムに遅れずに「突っ走る」かにかかっています。今年は主催者も言うように「さらに走らせる」設定となっていて、ちょっとでも気を抜くと、どんどん遅れてしまいます。その、最たるヤマ場となったのが、ランチレストの志賀高原丸池ホテルの3CPから上田市を通過し東御市までの指定時間115分あまりの区間。スタート前のドライバーズミーティングでは、「115分の中には、ランチレスト分の60分も含まれる」との説明があったのですから、我々は給油時間も含めて、この距離から逆算すると、いくら高速道路が40km近くあったとしても、全くランチなど食べている時間は取れないと判断。ひたすら走り続けたのでした。結果、”全開”で走り続けて、4CPに2分前の113分で到達。それはそれは、必死に走ってのタイムでした。しかし、そこにいたのは、たったの5台。さらに、計時オフィシャルも到着したばかりで、計時の準備も出来ていなかったのです。当然、到着した5台は「必死に走って来たのだから・・」と計時を迫るのですが、その後は、ぱったりと到着する車が途切れてしまい、オフィシャルは「現場オフィシャルの判断」で、ここで「60分のレストを与え」「60分後からゼッケン順に計時する」とのこと。名だたるスポーツカーに遅れまいと、「・122」AMAZONに鞭打ち手に汗握り「必死で走って来ても」、何の意味も無くなってしまいました。ぼーっとして60分待つことになり、ならば、ここでの「CP線踏み」で、115分+60分で、きちっと1/100秒まで合わせ込んでチェックインしよう・・・とKコ・ドラと腹に決めたのでした。そして、腹の虫は納まらないまま、土曜日のゴールを迎え、ウェルカムパーティで前半戦の表彰式に出席しました。ところが、何と、この怨念の4CP執念の”線踏み”で区間「1位」で表彰されてしまいました。その誤差たるや「00.00.00.07」という、かつて達成したことの無い、まさに神業のような成績!!ま、いろいろありますが、区間「1位」のブロンズ盾とワインなどをもらってしまうと、偏屈爺もニンマリしてしまうのでした!ということで、残る日曜の後半戦で上位進出・・・とは思ったのですが、快晴で新緑の日曜日とあって、観光バスや、行楽の車に行く手を阻まれて、必死に走るものの、なかなかオンタイムに持ち込めずに悪戦苦闘。最終的には総合18位で今年の「Giro di Karuizawa」をゴールしました。本当に充実した「”全開”で走りっぱなし」の2日間で、かつてないほど過酷に回し続けた「・122」AMAZONのエンジンは、”シルクのように”吹き上がるようになり、嬉しいような、ちょっと心配なような・・・。ただ、ブレーキもクラッチもミッションも「かばいながら」の”全開”走行は、65歳の誕生日を前に、久々に心底疲れたラリーとなりましたが充実感もひとしおでした。さて、クラシックカーラリーで凌ぎを削った後は、来週から、ル・マン24時間レース対応で、ずっとヨーロッパです。こちらは、”超ハイテク”のハイブリッド対決で、Audiとの一騎打ちです。頑張らないと!!
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さあ来週は「Giro di Karuizawa」出場です!!

5月も中旬を過ぎて、モータースポーツはシーズンイン!!私も、本業が佳境に入り、先週までWEC(世界耐久選手権レース)対応で欧州滞在でした。で、帰って来たら、趣味のクラシックカーラリーも開幕です。来週25日(土)、26日(日)には、「RallyNippon横浜」と「Giro di Karuizawa」の2つのクラシックカーラリーが開催されます。私と「・122」AMAZONは、毎年、両方に出場して来たので、実に悩ましい選択となったのですが、「RallyNippon横浜」は、いつも通り11月末に行われる”本戦”が「台湾一周」6日間海外遠征ラリーとなることから2日間イベントとして行われるとのことで、私は「RallyNippon台湾一周ラリー」に参加すべく、来週末は「Giro di Karuizawa」にエントリーをしました。ということで、今日は、「Giro di Karuizawa」一週間前の”特訓”を行いました。武器は新たに導入した「Time Keeper」と”インカム”ですが、やはり、1/100秒計測の「線踏み」をクリアせねば、何ともなりません。「線踏み」”特訓”2回目も東京のド真ん中、若者の街原宿の某所特設コースが舞台です。朝8時半から夕方5時まで、人目をはばからずに、路面に引いた10m、10m、20m、10Mのラインを指示秒数と組み合わせ区間距離を変更して、行ったり来たり・・・。たった50mくらいの計測区間なのですが、なんと60回!!トリップメーターは周回も含め38kmも示していました。で、今回の収穫は、フロントフェンダーに「オードバックス」で買って来た、小さなミラーを貼り付けてタイヤと計測ラインの位置が直視確認出来たことです。これで、今までの、ドライバーの目線とコドライバーの目線と、実際のタイヤ計測ラインとの「予測」が一気に解消しました。その結果、何と、0.00秒誤差を3回も達成!!ほとんどが0.4秒差以内に留まる上達が出来ました。ただ、これは、あくまで、こちらの都合で設定した「線踏み」計測でのことですから、実戦ではどーなるかは???ですが、ノーテンキな、私とコドラは、「良くやった!!」と祝杯をあげたのでした・・・。まだ何も始まってもいないのに・・・いずれにせよ、来週には「Giro di Karuizawa」の結果が出ます。
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シーズン開幕へ”新兵器”投入 特訓開始!!

4月も21日というのに、冷たい雨の日曜日です。今週末は「Coppa di Koumi」が行われていますが、雪に見舞われ「モンテカルロラリー」みたいだそうです!!どうなっているのでしょうね・・・三寒四温っていうけれど。とはいえ、クラシックカーラリーは、シーズン開幕です。
「・122」AMAZONも、まずは、5月25日(土)26日(日)の「Giro di Karuizawa」にエントリーしました。今年こそ、上位入賞を目指して、「Time Keeper」という”線踏み”新兵器を導入しました。昔ながらのHalda「TripMaster」と「Speed Pilot」では、とても太刀打ち出来ない、1/100秒の戦いに臨むためですが、この新兵器は、”線を踏む”5秒前から、美しい女性の声(”カヨちゃん”というベテランのコ・ドライバー!!)がカウントダウンをしてくれます。ま、言うこと聞かなかったり、出来が悪いと怒られるわけではないのですが、せっかくの「伴侶」の期待に応えなくてはいけません・・・。というわけで、合計129歳老兵チームは、特訓を始めました。都心の某所の路面に20m、10m、10mの白線を路面に貼って、実戦さながらの特訓です。昨日は、朝から雨が降りだす午後まで、1往復2〜3分の「線踏み」なのですが、なんと走行距離を示す「MapShot」は25Kmを示していました。昼食も取らずに、我が老兵コ・ドライバーKさんが構築した「トレーニング・メニュー」に沿って、ひたすた”カヨちゃん”と呼吸を合わせて秒を絞り込む特訓の成果は、コンスタントにコンマ2秒から3秒誤差をクリア出来るようになりました。ま、果たして実戦でどうなることやらわかりませんが、差し当たって「上手く行った!」と夕方早くから”戦わずして”乾杯!!爺組の夜は更けて行きました。さあ、来週末27日(土)28日(日)は、恒例の「AMAZON 春のツーリング」です。今回は、新たに加わったPV544も含め、PV544が2台、AMAZONが12台参加して、小淵沢から清里の「清泉寮」へ行ってきます。来週こそ、春の暖かさが訪れることを願って・・・・
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JCCAニューイヤーミーティング見聞録

1月27日(日)「JACCニューイヤーミーティング」に行ってきました。日本クラシックカー協会主催の年初恒例イベントです。快晴に恵まれた東京・お台場には、国産旧車クラシックカーを主体に、外車クラシックからスワップミートまで、どちらかというと、とても身近なクラシックカーイベントとしてたくさんの、老若男女が詰めかけていました。同好車のクラブ単位での参加が多いようで、和気あいあいと仲間同志で新年の初顔合わせと集いを楽しんでいました。決して高級、希少なクラシックカーばかりでないところがこのニューイヤーミーティングの良い所で、ユニークなメッサーシュミット軍団のまわりには、相変わらずの人だかり・・・。さらに珍しいところではマリンブルーの”Nash”メトロポリタンが並んでいました。アメリカの”Nash”が1954年から生産した、一見、ボートにも似たアメリカ初のオープンのサブコンパクトカーです。当時はボンネットに英国オースティンA40のコンポーネンツが収まっていたそうですが、この”Nash”のエンジンは換装されていたようです。国産旧車も、1964年の東京オリンピックの公式車両であったプリンス・グロリアが五輪ステッカーもそのままに懐かしく並べられており、今さかんに行われている東京オリンピック誘致に役立ちそうでした。さらに日野コンテッサ、いすゞベレットに117クーぺなど、若い人にとっては、「知らない」名車が並び、日本のモータリゼーションを伝播する素晴らしい機会となっていました。そして、今年の新しい発見・・・というか潮流というか・・・。タクシーの旧車が存在感をアピールしていたことです。「三丁目の夕陽」時代のセドリック・タクシーには、「円タク」よろしく「空車メーター」の隣には、「100円」の表示。ブルーバードの「昭和」タクシーも並んでいました。こうなると、1960年代初頭のルノー4CVタクシーが懐かしく想い出されます。確かルノー4CVタクシーが初乗り「60円」、クラウンが「80円」だったと記憶しています。ラーメンが35円か40円の時代です。ということで、懐かしさを味わいながら会場をブラブラ・・・。クラシックカーの仲間とも新年の挨拶をしながら、Saab96やジャガーのルマンレーサー、オペル・マンタなどなどを眺めて歩きましたが、今年は1台もAMAZONの姿が見られなかったのが、ちょっと残念でした。で、最後の驚きは、会場外に止まっていた超大型キャンピングカー!!アメリカでは見られますが、この東京で・・・ビックリでした。

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ALPINE CLASSIC CAR RALLY2012

”クラシックラリー三昧”の連続ですが、11月16日(金)「ALPINE CLASSIC CAR RALLY 2012」が、東京・赤坂のアークヒルズ・カラヤン広場をスタートしました。午前9時半のスタートに並んだのは、”走り”に挑戦する1973年以前に生産されたスポーツクラシックカーばかり28台。WRCで活躍する新井敏弘選手が大会会長とあって、日本初の「ペースノート」コ・ドライビングのクラシックカーでの本格的ターマックラリーです。東京をスタートして群馬・サイクルスポーツセンターをはじめ、渋川市周辺のクローズドされた林道で「ペースノート」を駆使したタイムトライアルで速さを競います。日本でのクラシックカーラリーは、”RallyNippon”や”La Festa”に代表される長距離「線踏み」イベントが主流でしたが、先週・122AMAZONで参加した「Regend of THE RALLY」のような、懐かしい山岳リライアビリリティランが始まり、この「ALPINE CLASSIC」のような、欧州並みの本格的「走り」重視ラリーも始まったのです。クラシックカーラリーの潮流に乗り遅れることなく、3週連続で出場も考えたのですが、スタートに並んだヤル気充分のラリーカーを目の当たりにして、「現況のAMAZONでは、やはり場違いだったな・・・」と胸をなでおろしました。なにせ、全車ロールバー装備が義務付けられ、完全ラリー武装の”マシン”ばかりなのですから・・・ま、AMAZONだって1963年、1964年の欧州ラリーチャンピオンカーですから、きっちり装備すれば、遜色なく戦えるとは思いますが・・・。ということで、先週も一緒に”勝負?”したHさん組のブルーバード510SSSサファリ仕様車やFordEscortRS1600、そして、先週私と組んでAMAZONのコ・ドライバーをしてくれたTさんが乗り込むPorsche356ASpeedster、ジャーナリストでRallyNipponも一緒に走ったKさんのMorrisMiniCooperSなどを見送ることにしました。スタートには、堺正章さんも応援に駆け付け、とても良い雰囲気でクラシックラリーカーは”戦場”へと向かって行きました。先行車のゼッケン0は新井敏弘選手の黄色のMEGANE RENAULT SPORT。私としては「ペースノート」ラリーは、1983年サファリラリーで大学ノート13冊を駆使して5日間6500kmを戦っただけに、ちょっとは自信があるのですが、来年参加するのは、AMAZONをラリーカーに仕上げる車作りから態勢を整えるまでには、寄る歳も考えると???かな・・・
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