AMAZON Life by SUNA

「AMAZON OWNERS CLUB」時代から30年余り。
再び AMAZONとのカーライフを楽しむこととなったSUNAと仲間達の日々。
40年、50年、そして60年へとVOLVO AMAZONと共に辿るTime Trip。

Legend of THE RALLY2012

11月9日(金)と10日(土)の両日、Legend of THE RALLYに出場しました。このラリーは、その昔、日本アルペンラリーなどで凌ぎを削った往年のワークスドライバーとコ・ドライバーが、当時戦いの舞台となった林道で「昔風」のラリーをやろうという、いわば「ラリー同窓会」です。私も学生時代からRAC・Sというラリーチームを作り、篠塚健次郎、松波登など、その後、世界のラリーで活躍した仲間と日本アルペンラリーなどに出場していました。そんな仲間が約40年ぶりに一堂に会してラリーをしようというのですから、参加しないわけにはいきません。3日前までRallyNipponでクラッチ不調で苦しんだAMAZONを応急修理してスタート地点の軽井沢に向かいました。このラリーのコ・ドライバーは、昨年RallyNipponを一緒に戦ったTさん。3日前までRallyNipponを戦ったKさんは、自分のミニでエントリーしています。スタートの浅間プリンスホテルには、28台の出場車と、すっかり歳を取った往年の名ドライバーが勢揃いしていました。誰もが白髪だったり毛が無かったり・・・。でも当時の面影は40数年を経ても残っているものですね!エントラントは最高齢が85歳、最若年でも53歳。その上、60歳未満のチームは、たった6チームだそうです。その爺さんたち(ま、人のことは言えませんが・・・)が、どこから持ってきたのか、当時のラリーカーでレーシングスーツなど着て集まっているのです。もっとも私は、当時ラリーで乗っていた、コルト、ランサー、ギャラン、SUBARUなどは、手元になく、1964年AMAZONでの出場です。ほとんどの出場車が懐かしい国産ラリーカーなのですが、外車は、私のAMAZONとKさんのミニだけのようです。一応、往年の名ドライバーの参加ということで、競技格式はJAF公認競技。つまりライセンスが必要なラリーなのです。ただし、その昔のリライアビリティラン形式のタイムラリーで、いくつかの峠では秒計時をされるというもの。コースは、Day1が、二度上峠、車坂峠などを周回する150km余り。Day2は内山峠、田口峠、塩之沢峠などを周回する140km余りの設定となっており、どの峠も、その昔はラリーの主戦場となったところばかり。ただし、車坂峠の登り約7kmが未だ未舗装路でしたが、そのほかは舗装路となっていました。勿論、平均年齢を踏まえ、昼間のラリーでもあるので法定速度より低く指示速度は設定されているのですが、絶妙なCPの配置で、どのチームも、昔取った杵柄でラリー用円盤計算機や電卓を駆使して秒計時に挑みました。とても楽しい2日間でしたが、私のAMAZONは、またまたクラッチが切れなくなりCP手前で立ち往生したり、ミニと一緒に”仲良く”ミスコースしたりで、さんざんな結果となって8位がやっと・・・。それでもエレガント賞をいただきました。なにはともあれ、懐かしい仲間と夜な夜な昔話に花を咲かせることが出来たことに感謝、感謝です。
ということで、今年の・122AMAZONのクラシックカーラリー参加は一段落です。
これからのオフシーズンで、しっかりクラッチを修復し、来年へ向けて万全の整備を行います。
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悩ましいクラッチのトラブル対策

RallyNippon2012では、終始クラッチシリンダーのエア抜きで悩まされました。ゴール後、すぐに対策を講じないと、3日後の11月9日(金)にスタートするRegend of THE RALLY出場に間に合いません。早速ゴール翌日には、AMAZON仲間行きつけの工場にドック入りしてクラッチシリンダーを分解して対策を検討しました。どうも、エンジンルーム内の熱により何らかの理由でシリンダー内に入ったエアが膨張して悪影響を及ぼしているようです。さらにオイルの沸点の高い高級オイルを使用したことで、シリンダー内のゴムパッキンがオイルに浸食されてしまったようです。ということで、ストックしてあったスウェーデン製とオーストラリア製シリンダーをそれぞれバラバラに分解して、良いとこ取りをして組み上げることにしました。そしてオイルも高沸点オイルをやめて、普通のトヨタ純正オイルを使用し、さらにクラッチオイルの配管パイプに熱遮断テープを巻きつけました。これで、当面、対策の効果を見ることにして、すべてのオイルまわりを交換し、各部の増し締めなど、最終点検整備をして、8日(木)には、Regend of THE RALLYのスタート地点、軽井沢に向かうことにしました。
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RallyNippon2012 Day4最終日

RallyNippon Day4は11月6日(火)午前8時半に箱根のハイアットリージェンシーをスタートして鎌倉の鶴岡八幡宮、横浜・赤レンガ倉庫、馬車道、元町を経て東京・靖国神社へゴールする200Km余りのコース。生憎、朝から激しい雨に祟られて苦しい最終日となりました。雨漏りする我々のAMAZONは、窓ガラスにシールをして完全武装なのですが、窓の曇りが激しく、さらに、この大雨の中でクラッチのエア抜きは大変なので、とにかくクラッチを使用しない走りに徹して、頑張りました。Day4の線踏みは、ランチのレストコントロールとなった横浜・赤レンガ倉庫で昼食の前後2回、3連線踏みが設定されていました。とにかく70分のレストコントロールなので、ここまで走り切れば、最悪この70分を使用してクラッチのエア抜きをする予定でした。箱根をスタートしてすぐに、AMAZON仲間のNさんが赤AMAZONでぴたりと後ろをサポートしてくれて、ノークラッチ走行を助けてくれました。今回のRallyNipponも、コースの各地でAMAZON仲間が待ち受けてくれて、本当に心強く、楽しくラリーを進めることが出来ました。そして、最終日は、1回のクラッチのエア抜きで、午後3時過ぎに東京・靖国神社にゴールしました。ゴールは、ゼッケン50番1960年JAGUAR XK150 Roadstar(イベントメインスポンサーのdunhil社長と元F1ドライバーのジャン・アレジ組)に続いたので、TVカメラやフラッシュの嵐で、まるで我々ゼッケン51番AMAZONもヒーローになった気分でした。ガラ・パーティは午後7時から新装なったパレスホテル東京で行われ、ブラックタイのフォーマルディナーでは羽田国土交通大臣を迎えて表彰式が行われ、優勝は1957年AC ACEで何と総合減点は2秒615。我々のAMAZONは、12秒195秒も減点をもらい、29位でした。ひとつの線踏みで0.3秒誤差以内の目標でしたので、全28線踏みで8秒4・・・くらいの減点のつもりでしたが、ちょっと目論見がはずれました。やはり、終始クラッチに悩まされ、1/100秒に集中出来なかったことが敗因でしょう。ま、昨年の32位からはちょっとだけ進化して、完走出来たので、まずは、メデタシメデタシ!!
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RallyNippon2012 Day3

RallyNippon Day3は、11月5日(月)午前7時半に岐阜都ホテルをスタートして、中山道を走り妻籠宿を経て、長野県・高遠城址公園から諏訪大社へと向かい、参加者全員でお祓いをして、山梨県・河口湖から神奈川県・箱根のハイアットリージェンシー箱根までの405Km余りという今年のRallyNippon最長ステージ。毎朝、毎晩、そして午前と午後のステージ中にクラッチのエア抜きをすることを覚悟した我々は、1回のエア抜きに必要な20分から30分を、いつ、どこで稼ぎ出すかを考えながらクラッチをなだめすかして走り続けました。Day3には、妻籠宿に3連線踏みと、夕方に箱根を前にした御殿場のポルシェ(ミツワ自動車富士デポ)での3連線踏みが設定されていました。コ・ドライバー(兼エア抜きメカニック)のKさんは、さすが、頻繁なエア抜き作業と不調のクラッチにいささか疲労を隠せないものの、昔取った杵柄で窓から身を乗り出して線踏みカウント。今回から私もGARMIN(NAVI)下に線踏み「指示表」を貼って「0.3秒以内の誤差」を目指したのですが、どうも先行気味で、ペースがうまく掴めません。ま、やっとクラッチが機能する状態ですから、とにかく、線踏みはともかくとして、何としてでも東京・靖国神社にゴールしなければ(2年連続出場の1974年HONDA Z360も全開でくっついて来ているので・・)と、完走に目標を定めて、夕闇迫る御殿場のガソリンスタンドで最終日Day4へ向けてエア抜きをしたのでした。
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RallyNippon2012 Day2

RallyNippon Day2は、11月4日(土)午前7時半に琵琶湖・ロイヤルオークホテルをスタートして、滋賀県・高島市マキノ町のメタセコイヤ並木を通り、福井県・一乗谷朝倉遺跡、岐阜県・郡上八幡、美濃市”うだつの上がる街並み”を経て岐阜・都ホテルまでの340km余りのコース。このDay2を前に、具合の悪いクラッチに悩む我々は、前夜の夕食もそこそこに、クラッチのエア抜き装備を準備すべく、Day2のコースを吟味し、大きくコースをはずれることなく、時間を稼いで対応出来る戦略を練りました。マキノ町と大野城下町に設定された3連線踏み2か所をこなせば、後に60分の昼食レストコントロールがあるので、その時間を利用する戦略です。相変わらずクラッチに不安を抱えての線踏みでしたが、この日も0.3秒以内誤差の目標は、”ほぼ”達成 。そして、線踏みを終えたところで、我々のAMAZONに声を掛けてくれたのが自らもAMAZON123GTのオーナーで滋賀県で整備工場を営むIさんです。天の恵み・・・とばかりにさっそく問題のクラッチシリンダーを見てもらったところ、「こりゃダメだな・・」との診断。とにかく、頻繁にクラッチのエア抜きをして走り続ける悲壮な覚悟に至りました。ということで、さっそく飛ばしに飛ばして、可能な限り時間を稼ぎ出し、ホームセンター「コメリ」へ行き、エア抜き用のポリタンクと透明チューブを購入。さらに、オートバックスへ急ぎ、ブレーキオイル(クラッチオイル兼用)を購入してガレージジャッキを貸してもらい、徹底的にオイルの抜き変えとエア抜きを行いました。この日の線踏みは以後なく、ひたすら岐阜都ホテルを目指すのですが、一昨年のRallyNipponでご一緒した岐阜のYさんが、途中で待ち受けてくれて、一応復調した我々51番AMAZONをサポート、Tさんの56番AMAZON、そしてYさんのAMAZON123GTの3台を連ねて岐阜都ホテルにゴールしました。もちろん、Day3に備えて、ホテル近くのガソリンスタンドでガレージジャッキを借りてクラッチのエア抜きをしてからホテル駐車場に入れたのは言うまでもありませんが・・・
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RallyNippon2012 Day1

皆様、RallyNippon2012のご報告が遅くなったことをお詫びします。RallyNippon2012は、11月6日(火)に東京にゴールしていたのですが、その3日後の9日(金)から11日(日)までLegend of THE Rallyに出場していたために、ひたすら走りまわっており、ブログを書けなかった・・という次第です。もっとも、4回目のRallyNippon出場なのですが、1回目、2回目くらいまでは、日々ブログにアップしていたような気がしますので、だんだん根性が無くなってきたのかもしれません。ということで、一気にRallyNippon2012とLegend of THE Rallyのご報告をします。4回連続出場となったRallyNipponですが、実は、エントリー締め切り後に出場を認めて頂きました。年初から出場を決めていた「Splendore Japan」という11月1日から12日まで12日間6000Km日本一周ラリーに大きな期待と抱負を持ってエントリーをしたのですが、いきなり「参加不受理」という書留が主催者から来て参加不可能となってしまい、仕方がないので、大慌てでRallyNipponにエントリーさせて頂きました。どういう理由で「参加不受理」なったのかは知る由もありませんでしたが、気持ちよく「歓待」してくれたRallyNipponに出場するために11月2日(金)に今年のスタートとなる京都へとAMAZONと共に自走で向いました。今年のコ・ドライバーは、その昔、学生時代からやっていたラリークラブRAC・Sの名ナビゲーターで数々のビッグラリーで名を馳せたKさんです。40年来の付き合いですから、当然、爺さんなのですが、私より2歳若い62歳です。つまり二人合わせて126歳の往年コンビで「昔取った杵柄で・・」と臨むことになりました。日本気化器という、かつては自動車産業の基幹産業だったキャブレター技術者のKさんは、持ち前の解析力で過去のRallyNipponの成績を分析、「線踏みは0.3秒以内の誤差」を目標に掲げ、AMAZON仲間のKさんから線踏み専用カウントダウンタイマー”BLIZZ”を拝借し、コ・ドライバーとの会話用インカム”PELTER”も購入してヤル気満々で京都へと向かいました。今年のRallyNipponは、京都・上賀茂神社をスタートして4日間で東京・靖国神社にゴールする1100km余りのコースです。AMAZONのゼッケンは51番。今年も1927年BUGATTI T35Bから1970年代初頭の参加車まで83台が出場したのですが、1964年VolvoAMAZONは、年式順に与えられるゼッケンでは、例年だいたい50番前後です。今年はAMAZON仲間のTさんも石川県から出場し、AMAZONは2台。さらに1957年Volvo PV444も参加してきました。11月3日(金)午前9時の上加茂陣社スタートに勢揃いした参加車には往年の名車に混ざって俳優の唐沢寿明さんが1962年三菱500や雅楽師東儀秀樹さんの1956年JAGUAR XK140も並びたくさんのファンに囲まれていました。RallyNippon Day1は、京都・上賀茂神社をスタートして東福寺を経て、滋賀県へ入り、水口神社、近江八幡宮を参拝して琵琶湖のロイヤルオークホテルまでの200Km余りのコースです。この間、東福寺で3連線踏みをはじめ、2連線踏み、3連線踏みの3回1/100秒計時が行われました。ヤル気満々の我々は、当初の目標通り、どの線踏みも0.3秒誤差以内に収めて、まずまずの初日だったのですが、以前から不安のあったクラッチ不調が出始めてしまいました。クラッチシリンダーにエアが入りクラッチが切れなくなってしまうのです。クラッチをポンピングしてエアを押し出して、何とかだましだまし走っていたのですが、遂にまったくクラッチが切れなくなり、ちょうど目に入ったカローラのディーラーに頼み込んで、リフトを貸してもらい、Kさんと共にクラッチのエア抜きをして、一応走り出したものの、この日のゴール、ロイヤルオークホテルを目前にして渋滞の中でクラッチが切れずに立ち往生!またまた、悪戦苦闘の末、やっとゴールまでたどり着いたのですがJAFのロードサービスを待つことになりました。そして応急処置でクラッチは復調したものの、行く先に不安を抱えての第1夜となりました・・・
表紙.jpgCIMG8079.jpgCIMG8085.jpgCIMG8086.jpgCIMG8094.jpgCIMG8091.jpgCIMG8087.jpgCIMG8101.jpgCIMG8104.jpgCIMG8109.jpgCIMG8111.jpgCIMG8128.jpgCIMG8135.jpgCIMG8140.jpgCIMG8142.jpg CIMG8148.jpg
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